良型を2匹釣り、iPhoneを湖底に沈めること

関東地方の梅雨が明けた。
梅雨時に良い釣りをされてた情報を聞いていたので、夏になればパターンも変わり難しくなるだろう。
それでも、今日の天気予報は晴れ、時々曇り、まだチャンスがあるかもしれない。
そう言い聞かせて、3時起床。5時過ぎにエントリーし用事があるので12時までの半日釣行にでかけた。
エントリーポイント付近のウィードはかなり伸びている。
水温26℃、水位は満水より1m減くらいか。
車田さん撮影
この時の私はまだ、今日の運命を知らない。


ちなみに私より30分ほど遅れて車田さんがエントリー、お昼に入れ替わりでSAKAMAさんが来られた。
久しぶりだったのだが、あまり話しも出来ず残念なことをした。

結果から言うと、ウィードのボイルたたきは失敗に終わり、
散々日が高くなってから、オープンエリアのロープ絡みのポイントで
48cmの良型バスを釣り上げ、オーバーハング下で黄色ポッパー(マルトフック8番)で44cmのバス2匹を釣った。
ROSSのニューロッドに入魂し、ご機嫌でエントリーポイント方向に戻る途中で悲劇は起こった。
前回の釣行で、写真もiPhone使用で問題なかったので、
今回は防水ケースを購入。これで万全だと思ったのだが。。。 
G2 LifeProof iPhone 4/4S Case 防水・防塵・耐衝撃ケース (ブラック)


通常、通話はdocomoを使用。その時も話しながらiPhoneにメモをしていた。
フローターのエプロンにiPhoneを載せたまま、
ヒレを漕ぎながらdocomoで次の通話していたのだ。
いつもだったら濡れるといけないからとシャツのポケットに直ぐにしまうのだが、
今日はケースがあるからと安心していた。かえってこれが仇になった。
話していると、エプロンに腿が当たった拍子に、
何かが、エプロンから落ち、足ヒレをかすめて落ちていった。何?

時既に遅し、こうしてわがiPhoneは水底に消えたのだった。
ケースに入れて、ショックコードか何かで身体かフローターに結んでおくべきだった。
後悔先に立たず。痛い出費。
ということで、釣り上げた48cmの良型バスの映像も水底に消えてしまったのだった。

ちなみに私はdocomofomaで通話とデータはパケホーダイを使用。
softbankiPhone 4と旧アレコレソレキャンペーンで購入したiPad2を使用している。
よっぽど、iPhoneを解約し、iPadパケホーダイで契約しなおし、
fomaをxiに変えてみようかと思ったのだが、
ちょっとしたときにiPhoneをネットに繋いだり、スケジュールを確認する便利さを捨てきれず、
iPhone5も待てずに、4Sに機種変更とあいなった。

しかし、これが後に御利益を生むことになるとは、この時の私はまだ知らなかった。

久し振りにメバリング

最後に釣りに行ったのが1/4の釣り新年会。
今年もなかなか釣りにいけません。

やっと出かけられると思って、潮を見たら、
中潮で、夕方からぐぐぐっと潮が下がって釣りになりそうもありません。

でも、ここで行かないと次はまた何時になるのか判らない。

ということで、無謀なことは承知で、いつもの湾に出掛けました。

行って見て、納得。
やはり無謀だったと。
居付きのシーバスポイントも水たまりになっていました。

それでも橋脚下でチビメバルを1匹。

ボウズは免れました。
お正月にケンさんに貰った坊主厄除のお札が効いたのかな?

次回はもっと潮の良い時に出かけたいですな〜。

2011年の釣り納め

12月27日
本当に久し振りに釣りに出かけました。
この季節、夜のメバルあたりが1番お手頃かと思い出かけました。

鉄板だと思っていたポイントで全く反応なく
がっかりして、いつもの湾奧にでかけました。
大潮の干潮、水位がさがりしかも冬なので水が澄んでいます。

いました。居付きのシーバスが3匹
フロート・フライシステムでラビットゾンカーを投げてみました。
居着いている場所の3mくらい向こう側にキャストして、
スー、スーッとリトリーブ、
間のポーズのタイミングで、ふわふわ沈むゾンカーにパクッとでるはずと信じて送り込んだのですが、
この時期のシーバスは非常にセンシティブになっていて、ラインが近くを通っただけで、
スーッと暗がりに消えていきました。

結局、その後粘りましたがノーバイト。
今年の釣りを象徴しているような気がして、思わず笑ってしまいました。

とりあえず、釣り納めが出来たので良しとしましょう。
今年1年、釣りレポをお読み頂きありがとうございました。
来年も宜しくお願いします。

フライを始めた頃

maruさんの釣りブログを読んだら、
フライフィッシングを始めた頃を思い出しました。

釣りを始めた頃、勿論餌釣りで小鮒やオイカワを釣っていました。
フライフィッシングという釣りがあることは、釣り雑誌を見て知りました。
日本では、ヤマメや岩魚、ニジマスを釣るための釣り方くらいの認識しか無かった頃。
雑誌「つり人」の別冊でフライフィッシングの特集号が本屋に並びました。
そこには、渓流のシーズンオフに、フライでオイカワ(実家のあたりではヤマベ)ウグイ(同じくハヤ)が釣れると書いてありました。
まだ中学生だったので渓流までは行けないけれど、
ヤマベやハヤの居る川までだったら自転車でも行ける。
そう思ったら、居ても立ってもいられなくなり、
貯めてあったお年玉を手に、
当時、池袋西武にあったスポーツ館に出かけ、
釣りのコーナーにあったノーブランドの#5のグラスロッドと、シェークスピアフライリール、そしてバークレイのフライライン、リーダーを購入。

しかし、肝心のフライが無い。
一番小さい完成品のフライは18番。これでは、ヤマベは釣れない。

無いモノは自分でつくるか・・・。
幸い、フライの材料は母が手芸に使っていた色とりどりの毛糸と、
父が持っていた渓流様の毛針をばらした鳥の羽が手に入った。
バイスは無かったけれど、ラジオペンチで代用、
そして、肝心のフックは、餌釣り用の針をガスバーナーであぶって
曲げて、適当に焼き入れをして整形。
今の子達では出来ないだろうな・・・・。
たまたま父がそうした道具を持っていたので、
見よう見まねで3本のフライを作ってみました。

これを持って近所の川、入間川へ出かけた。

そして、幸運にも、浅瀬でライズするヤマベに向かってキャストされたなんちゃってフライにヤマベがアタック!
目の前で、自分が作ったフライに魚がアタックするなんて、
なんて刺激的な釣りなんだろう!
少年がフライフィッシングにはまるには十分すぎる条件が整った。

釣りキチ三平に憧れたその少年は、今や44歳。
魚紳さんよりも、一平爺さんに近くなってしまった。

1983年3月27日 私が初めてフライで魚を釣った日。
全てのフライにまつわる思い出は、ここから始まりました。

ダメージ

ここ最近、仕事で暫く危険な海外に行っていたので、
釣りどころではありませんでした。

昨日、久し振りに釣りに行きました。

7時から17時まで、浮いてきました。
以前は5時から19時など14時間浮いて居たりと
今では考えられないくらいの時間をフローターで浮いて居たのですが、
考えてみれば昨日の釣りも、真夏に10時間は浮いていたことになるので、
身体にはかなりのダメージが残っています。

この時期のダメージと言えば日焼けでしょう。
こちらは、長袖のUV加工されたフィッシングシャツと
麦わら帽子、日焼け止めクリームの使用でかなり軽減されたと思います。

次は、筋肉痛ですね。
フローターを漕ぐので下半身の筋肉痛かと思いきや、
私はまだ下半身の筋肉が残っているのでこちらは問題無く、
上半身激しい筋肉痛を味わっています。
フライの場合、1回キャストするために最低でも2回はキャストを繰り返します。
特にフローターでは上半身のみのキャストになるので、
背中、肩肘、上腕部、前腕部の筋肉を酷使します。
その結果、かなりの筋肉痛と怠さが残り、
ダメージの回復まで暫し時間がかかります。

最後は、バスを数釣ったときのみですが、
ハンドランディングする左手親指の皮が、
バスの歯によってざらざらに傷つけられる痛みでしょうか。
昨日は50アップのバスを釣ってしまったこともあり、
結構ヒリヒリしています。

ダメージの回復には暫く時間を要しますが、
釣りのイメージを反芻させてくれる大事な手がかりでもあります。

撃沈

5月末、台風が低気圧に変わり、
それでもかなりの雨を降らせて、
なぜか気温がぐーっと下がってしまった。

水位の上昇。 1m上昇
水温低下。  21℃→18℃
強風。    風速8m/h

これだけ悪条件の中、バス狙いで浮いてきました。
フライでバス。

半日の釣りで、ノーバイト。
全く魚の気配なし。
あっさり完敗を認めて退散しました。

しかも、ネオプレーンのウェーダー、
ブーツ部分に穴が空き、水の冷たさを体感。
弱り目に祟り目とはこのことでしょうか・・・。

被災地に行って

月日の経つのはあっと言う間だ。
しかし、例え月日が流れても忘れられない事もある。
3月11日の大震災から2ヶ月以上がたった。
これまでも大惨事が起きて、不幸にも命を落とされた方のご冥福を祈り
自分の足もとを見つめ直した事があったが、
今回の大震災は、その被害の甚大さから、当事者ではない自分にとっても衝撃的な出来事だった。
5月15日、宮城県の復興事業で本業であるサッカーコーチとして
子供達の為のサッカー教室のお手伝いをした。
子供達を励ますつもりだったが、その子供達の瞳、真っ直ぐな心に触れて、
逆に私自身が励まされてしまった。

そんなサッカー教室を2つ終え、自分の目で見た方が良いですよと言われ、
沿岸部に連れて行ってもらった。
多賀城石巻、女川・・・。言葉を失った。
映像では見てきたが、実物を見ると
あまりの凄さに逆にリアリティを失ってしまい、呆然とするだけになってしまう。

そんな被災地を見てきた後で、たまたま仕事先でお会いした方。
その方は、普段、中学生にサッカーを教えていらっしゃる。
その日も熱心にメモを取りながら、サッカーの指導法を勉強されていた。
たまたま、震災の話しになった。
その方の実家は岩手県だそうだ。
郷里に残してきたお母さんが家ごと津波でもっていかれてしまったとのこと。
付近に住んでいた親戚の方々もみんな行方不明。
淡々した話し方だけに余計に重みが伝わってくる。
行方不明のお母さんを捜しに安置所を巡られたそうです。
千体近くのご遺体を見て回られ、
中にはかなり損傷しているご遺体もあったとのこと。
似ている方のDNA鑑定もお願いされたそうです。
しかし、未だにお母さんは見つかっていないそうです。
そして親戚の方も殆どが行方不明。

それでも、子供達にサッカーを教える為に、勉強されている姿。
頭が下がりました。

自分が今、こうして生きている事の不思議さ、
そして意味を改めて考えさせられる出来事でした。
生きている。いや、生かされている。
生かされている、この人生。
その意味を考えつつ、今、生きている事の幸せを噛みしめようと思う今日この頃。
1日を大事に生きようと改めて思う。